真夏の緑谷
私の生まれ育った大江山山麓にある村の風景です。昨日、先祖さまの墓参りをしてきました。今年一番の酷暑の日、人里離れた渓谷の村は肌寒いくらいで緑が鮮やかでした。若いころには、盆と正月には都会帰りの若者で、村の人口が倍増したものでしたが、過疎化してしまい今ではひっそりと静かでした。自然豊かな渓谷は人々の気配が少なくなると「緑」が豊かに、空気が清くなるんです。
2012/08/18京都府福知山市大江朝橋谷で撮影。
私の生まれ育った大江山山麓にある村の風景です。昨日、先祖さまの墓参りをしてきました。今年一番の酷暑の日、人里離れた渓谷の村は肌寒いくらいで緑が鮮やかでした。若いころには、盆と正月には都会帰りの若者で、村の人口が倍増したものでしたが、過疎化してしまい今ではひっそりと静かでした。自然豊かな渓谷は人々の気配が少なくなると「緑」が豊かに、空気が清くなるんです。
2012/08/18京都府福知山市大江朝橋谷で撮影。
大江山山麓の小春日和の写真の続きです。前回の撮影位置から約40度左を向きました。この山を正面に見て18年間暮らしたんです。向山と呼んでいました。もう「すすきの穂」が目立っていました。
右側のチョット窪んでいるところを超えると隣村の小原田です。子供の頃に我が家の縁側でお茶を飲んでひと休みをして、小原田に向かって山越えをしていった人々のことを思い出しました。実は、最近知ったんですが、中・高校時代の友人がこの小原田でひと時を過すと云う。そして、最近「漢詩とスケッチ」をテーマにしたBlogを開設しました。驚きました。漢詩を読むのも大変ですのに、創るんですから驚きです。スケッチも上手くこんな才能があったこと年老いて初めて知った訳です。この夏に50年ぶりに開かれた同窓会から、懐かしい面々の交流が始まった訳です。
大江山山麓にある、私が生まれ育った山村(京都府福知山市大江町橋谷)は、紅葉も始まり小春日和でした。辺りは澄み切っています。なにしろ山奥ですからCo2も皆無でしょう。
高く聳える山は、天ヶ峰(標高600メートル超)といいます。村を上から見守っています。実は、この山の頂上までは私も登ったことがありませんし、村の中の人々からも登ったという話を聞いたことがありません。、人を寄せ付けない何か神がかりのする雰囲気が漂っています。隣村の小原田から登れるルートがあることをネット検索で知りました。モット若い時に知っていたら走破出来たのにと、少々残念です。
去る08/11/13に急用があって田舎帰りをした際に撮影したものです。
大江山のある福知山市の表玄関です。高架駅になったんです。子供のころ始めて見る汽車は福知山駅ででした。古い駅舎でしたが、新しいスマートな駅になりました。
昨日、田舎に今度は電車で帰ってきました。帰りは缶ビール片手に、のんびりした気分になりました。
<参考>福知山駅Google地図
昨日のことです。田舎(大江山の麓)に帰ってきました。私が育った家の近くの道です。雪が残っていました。子供の頃には、冬はソリで遊びました。盆や正月などに帰省した時には、父と母がここまで送ってくれました。懐かしい思い出が一杯詰まった道です。道は一本で日本中つながっていますし、思い出の中でもつながっているんです。
そんなことを感じてしまいました。
大江町二俣で、大江山の麓の霧のかかった初秋の朝の風景です。この辺は平坦地で多くの人々が住んでいます。私は、小学4年と5年の2年間ここの学校へ、毎日片道4キロメーターの砂利道を歩いて通学したもんです。
大江山にはこの集落を通って登ります。この季節には大江山の中腹から雲海が見られます。
07/11/10に撮影しました。
私の生まれ育った大江町天田内で、学校えの通学路でもありました(当時は山越えの道でしたけど。)。この川は谷の底を流れます。2004年の大災害では大暴れでした。今は護岸もできて、完全に復旧しています。山全体では紅葉はちらほら見られる程度でした。
幸い霧を見ることができました。山の上から見ると雲海が見られることがあります。
07/11/10の帰省の時に撮影したものです。
昨日のことです。田舎に帰る途中のことです。大江町に近い綾部市西坂町の離れの山中の道路わきで休憩したときのことです。山は紅葉が始まり、朝のことですから霧が立ち込めていました。急いでカメラを取り出してシャッターを切りました。
実家の近くの道路から見た大江山です。谷間から見える箇所があるんです。何しろ平家の落人が逃げ込んだと言い伝えられる集落ですから山の中です。
小さいときから、大江山を見て大きくなりました。これから機会を見て大江山をカメラにおさめ、紹介したいと思っています。
同じ場所から、谷底を見ました。
撮影場所=京都府福知山市大江町橋谷