延元役 梨間の宿道標
JR奈良線・奈島踏切を奈良方面に進んだところに「延元役 梨間の宿道標」があります。
右側面に、是北 長池十五丁、左側面に、是南 玉水三十丁、と表示されています。
参考 ブログ 遊心六中記探訪 城陽市南部を歩く
JR奈良線・奈島踏切を奈良方面に進んだところに「延元役 梨間の宿道標」があります。
右側面に、是北 長池十五丁、左側面に、是南 玉水三十丁、と表示されています。
参考 ブログ 遊心六中記探訪 城陽市南部を歩く
市辺(いちのべ)の道標です。左田原(宇治田原のこと。)。右市辺(いちのべ)と書いてあります。
写真上は国道307に通じていて宇治田原町へ、写真下は市辺に通じています。
今回で、「城陽の歴史」(小冊子)に記載されている、城陽市内にある「道標」を撮り終えました。馴染みの少ない対象なので探すのが大変でした。類似品に「宿跡」があることを知りました。続けて歩いてみたいと考えています。
青谷村道路元標です。青谷小学校の校門にあります。
道路元標とは、大正時代に設置された、道路の起終点を表す標石のこと。市町村に一個づつある。有名なのは、東海道は東京の日本橋と京都三条大橋の中央にある。
道路標識を追ってたら、思わぬものを知ることになりました。
JR長池駅から奈良方面最初の踏切を渡って二筋目(山背古道)左へ曲がってすぐに「二本松の道標」(写真右)があります。(右へ 青谷梅林、中天満の方へ)と書いてあるとのこと。(私は、読めませんでした。)左側には、(長池演習場)と書いてありました。
毎日暑い日が続いていますが、オリンピックの活躍楽しんでいます。
城陽市寺田丁子口の交差点に「丁子口の道標が建っています。正面には、八幡近道・木津川渡船。右には、石清水八幡宮。裏面には、昭和3年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之。と書いてあります。
手前が京都、右が八幡、上が奈良各方面。
城陽アルプラ前面の交差点角には、「長池の道標」が建っています。正面には是北京都街道、左面には南 奈良街道、右面には、東富野水主渡船所十七丁など詳しく。裏面には、昭和3年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之 と刻まれています。
写真下が京都方面、上が奈良方面、右が東富野方面。丁度この辺りが、京都と奈良のほぼ中間点。
城陽市平川指月の古い住宅の道路に面して建っています。[左うちみち](読みは、左うじみち)と書いてあります。江戸時代初期のもので市内では一番古いものとのことです。高さ69cm。
左に曲がれば旧奈良街道をへて宇治橋へ、右へ(写真では下)行くと上津屋の渡し(今、流れ橋)を渡って、八幡石清水に至る。
「久世鷺坂旧跡碑」(左)、「万葉歌碑」(中)、「説明碑」(右)です。JR城陽駅北・久世神社東の坂道に面して建っています。
「久世鷺坂旧跡碑」(左)の裏には、「昭和3年秋禀京都三宅安兵衛遺志建之」とありました。なんでも、大正末から昭和にかけて、西陣帯地商が京都府南部に建設した石碑群の一つのようです。
以前は、神社西の旧奈良街道にありましたが、有志により正しい位置に移され、歌碑が建てられたとのことです。
このたび、碑の撮影を志しましたが、歴史があり難しいことです。ボケ防止にボチボチ勉強します。