丁子口の道標
城陽市寺田丁子口の交差点に「丁子口の道標が建っています。正面には、八幡近道・木津川渡船。右には、石清水八幡宮。裏面には、昭和3年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之。と書いてあります。
手前が京都、右が八幡、上が奈良各方面。
城陽市寺田丁子口の交差点に「丁子口の道標が建っています。正面には、八幡近道・木津川渡船。右には、石清水八幡宮。裏面には、昭和3年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之。と書いてあります。
手前が京都、右が八幡、上が奈良各方面。
城陽アルプラ前面の交差点角には、「長池の道標」が建っています。正面には是北京都街道、左面には南 奈良街道、右面には、東富野水主渡船所十七丁など詳しく。裏面には、昭和3年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之 と刻まれています。
写真下が京都方面、上が奈良方面、右が東富野方面。丁度この辺りが、京都と奈良のほぼ中間点。
城陽市平川指月の古い住宅の道路に面して建っています。[左うちみち](読みは、左うじみち)と書いてあります。江戸時代初期のもので市内では一番古いものとのことです。高さ69cm。
左に曲がれば旧奈良街道をへて宇治橋へ、右へ(写真では下)行くと上津屋の渡し(今、流れ橋)を渡って、八幡石清水に至る。
今年のハスはどうも元気がないように思っていました。今日の地域の新聞を読んで解決しました。今年は、極端に暑い日があって、雨が多くて、ハスを管理するには好ましい気候でなかったようです。それでも、流石にハスです。気品を感じました。
「久世鷺坂旧跡碑」(左)、「万葉歌碑」(中)、「説明碑」(右)です。JR城陽駅北・久世神社東の坂道に面して建っています。
「久世鷺坂旧跡碑」(左)の裏には、「昭和3年秋禀京都三宅安兵衛遺志建之」とありました。なんでも、大正末から昭和にかけて、西陣帯地商が京都府南部に建設した石碑群の一つのようです。
以前は、神社西の旧奈良街道にありましたが、有志により正しい位置に移され、歌碑が建てられたとのことです。
このたび、碑の撮影を志しましたが、歴史があり難しいことです。ボケ防止にボチボチ勉強します。
梅雨の中休みのある日の我が家の居間のカーテンに映った光の形です。このところ、暑い日が続いています。夏日だそうです。そんな時に涼しい気分を味わいました。
7月3日の京都駅前のホテルで開かれた私が生まれた町ー大江町人会に2年ぶりの参加しました。お馴染みのメンバーと楽しいひと時を過ごすことができました。
大江町関にある「ここはお国の何百里」の碑が建っていましたが、移転したとの報告がありました。一度帰って確認したくなりました。
むくげ(木槿)です。あおい科。
今日は、メッチャ熱かった。午前中テニスをやりましたが、12時過ぎ終わったんですが、目まいがしました。ナント今、ニュースを見ていますが、京都近辺は34度だったとか。まいりました。そんななかですが、むくげの花は涼しくみえました。